オフィスレイアウトでショッピング
この住まい方の変化は家族のありがたも大きくかえていきました。
それまで農家、商店、町工場などで夫婦、子供が一体となって仕事をした、まさにその場が失われたのです。
それは労働を通じた一体感、つながりがなくなっていくということでもありました。
「住宅」の誕生とは、すなわち家族が一体となれる労働という場面がなくなる、ということでもあったのです。
その反動でしょうかご最近では父親の仕事ぶりを見ようと家族の「職場訪問」を行う動きもあります。
けれど「見学」はかつて行われていた家内労働の代用にはなりません。
「仕事」は家族の場面から退場しましたが、もうひとつ重要な共同作業は残っています。
それが「子育て」です。
これはおもに夫婦の共同作業です。
しかし大半は母親まかせで、しかも最近ではそれさえ、怪しくなってきました。
最近の子は小さいころから保育園、幼稚園に適います。
小学校にあがると、昼間の大半は住まいの外、家族の口の届かないところですごすことになりますし、さらに成長するにつれて学習塾、お稽古ごと、スポーツクラブとその幅は広がっていきます。
子供たちの生活はおおかた学校や住まいの外にあるサービス産業の「客」として、「消費」されている、といういい万もできます。
子育てもいまやその一部は外部化しつつある、住まいの外、家族の場面の外側に移行しつつあるといえるでしょう。
これからも親は自分の日の届かない外部のサービスに、子育てを委託する場面が多くなっていくでしょう。
やがて子育ても家族から分粧され外部化する、そんなときがやってこないともかぎりません。
「仕事」「子育て」、この重要な家族共同の役割がなくなる、あるいは減少するなかで、いま「食」もおなじ運命をたどろうとしています。
個食、あるいは孤食といわれるように、家族全員がともに食事をするということが少なくなりました。
ひとつのテーブルで時間割ごとに別々にすませるという家庭もあります。
しかし、「食」は家族にとって最後の砦です。
もし住まいと家族から「食」がなくなってしまえば、いったいどこに家族の存在意義を見いだすことができるでしょうか?自ら命をたったマラソンランナー、K.Yの遺書です。
日本でもっとも有名な遺書のひとつかもしれません。
東京オリンピックで銅メダルをとった数年後、彼は亡くなります。
結婚を目前にしながら破談となり、孤立のなかでの死でした。
この遺書は家族との親密感が、ただ「食」の記憶として羅列されているだけなのですが、彼の無念さや家族という存在にたいする強い思いは真に迫ってきます。
この遺書にあらわれているのは家族にたいする思いの深さです。
しかもそれがすべて食べ物の記憶に託されている。
家族という関係が「食」を媒介にしてはぐくまれることをこの遺書は証明しているようです。
そもそも住まいも家族も「食」が最大のテーマであったはずです。
まず「食」が中心にあり、それによって住まいと家族が形づくられていったのはまちがいありません。
人が生きていくために必要なのは火と水と食料です。
住まいの原点も火を中心に成りたっていたことが容易に想像できます。
火をかこむように人が集まり、そこに屋根と囲いができる。
このようにして住まいは形成されていったのでしょう。
ヨルダン川流域で発見されたエリコの遺跡では石造りの炉と灰の跡が発見されています。
紀元前数千年という遺跡ですが、その炉のまわりをかこむように部屋がありました。
つまりこの住まいは台所を中心にしてつくられていたのです。
長い人類史のなかで「食」はずっと中心的課題として存在していました。
近代の家族にとってもそれはかわりません。
まず食べること、それが第一の問題だったのです、けれどここ数十年で家族と「食」の関係は一変しました。
家族にとって「食」はかならずしも重要なファクターではなくなったのです。
その背景には外食産業の隆盛があります。
その昔、外食は滅多にない特別の食事でした「いまではごくあたりまえの日常であり、むしろ手作りの料理を家族全員で食べるということのほうが特別である、という家庭も少なくありません。
しかも家庭のダイニングに総菜や弁当や冷凍食品といった、ほとんど手をかけずにすむ出来合いの料理が多く登場するようになりました。
実際、総菜産業は年間六兆円にも成長しています。
その成長率は年間二〇パーセントにも達する勢いです。
よって家庭でも、手をかけずに食べるということがあたりまえになってきました。
若い世代ほどその傾向が強い。
「食」をできるだけ手をかけず簡単にとる。
そうした傾向と同時に、家族が別々に食事するということも多くなっています。
その際メニューは家族でバラバラというケースもあります。
かつて家庭料理のメニューはひとつであり、みんながおなじものを食べていました。
食事はおなじものを食べることによって、味覚を共有できます。
旨い、まずいといったきわめて重要な感覚を家族が日常的に共有するということは、きわめて貴重な共通体験であるとおもいます。
なぜなら、家族をおいてほかに、そのような体験を何十年もつづけられる共同体はないからです。
食卓にはその家族の状態そのものが表現されます。
一九八〇年に起こったある事件の当日の食卓はこのようなものです。
二浪中の予備校に適う青年は起き抜けに紅茶とクラッカーという昼食をとります。
夕食は母親の手作りのシメサバとビーフシチュー、テーブルの向かいでは当の母親がシチューでもシメサバでもなく、菓子パン二個をぼそぼそと食べている。
父親は不在で母と子は別々のものを向かい合って食べるというこの食卓に、最初に着目したのは作家のB.Mでした。
ぼくもまたここにひどく荒涼とした空気を感じます。
それにもましてシメサバとシチューというメニューもまたすさまじい。
どちらも好物であったとしても、それがいっしょにならんだテーブルなど想像できません。
そして青年はその日の夜中、もちだした金属バットで両親を殺害するのです。
ところが、こうした「食」の混乱はいまではさほど珍しいことではなくなりました。
朝食が菓子パンだけの子供たちなどはざらですし、シメサバとシチューをいっしょに食べる若い世代など少しも「ヘン」ではなくなっているのかもしれません。
最近は「崩食」という言葉をよく耳にします。
毎日、カップ麺しか口にしない青年、ハンバーガーを一日一個だけという女性。
その理由はただ「面倒だから」。
食べるという生き物としての基本的な行為さえももはや面倒だ、という若い世代がふえている。
そうきくにつけ、もしかすると家庭での食卓の崩壊は人々の生命力そのものが弱っているからではないかと、暗い気分になります。
いまキッチンにはさまざまな電化製品があふれています。
その変遷を見ていくと、家族と食の関係がいかに変化したかよくわかります。
最初に登場した電化製品は日本独自の商品、電気釜でした。
これによって炊飯はいったん仕込んだあとは、ほかの家事労働に専念できるようになりました。
そのころおなじくキッチンへ入ってきたのが冷蔵庫です。
これによって、買い物を二、三日サボっても料理できるようになりました。
生鮮食品もストックできる。
これはとても新しい発見でした。
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